こんにちは!
東広島市まちの広報部学生ライターのまるちのこと原口藍です!
私の記事のテーマの一つである「“はたらく”を知る」。
東広島市在住の方の、さまざまな仕事や働き方、その方の思いをインタビューという形で綴っていけたらと思っています。自分自身就職活動中ということで、さまざまな働き方を知りたいと思い、このテーマを設定しました。
第1回目の今回は賀茂鶴酒造株式会社さんにお邪魔させていただきました。
お話を伺ったのは、総杜氏(そうとうじ)の友安 浩司さん。
友安 浩司
1965年東広島市生まれ。1986年入社。16年の修業の末、2002年御薗醸造蔵の杜氏に就任。2009年には出品した5品評会のすべてで1位に当たる評価を受けた。
【全国新酒鑑評会通算11回金賞受賞】(2018年現在)
(賀茂鶴酒造HPより引用)
杜氏とは、酒造りにおける工場長のようなお仕事です。
今回は、友安さんが酒造りに携わるようになったきっかけや酒造りという仕事について、そして酒造りの魅力をお聞きしました。
(原口)
友安さんが酒造りに携わるまでの経緯が知りたいです!
(友安さん)
最初は佃煮屋さんに勤めていました。正直面白くなかったこともあり、2年で辞めて、その後は半年はガソリンスタンドのアルバイトをしました。その時に蔵人(=杜氏のもとで日本酒造りに従事する職人)の季節求人を見つけたのがきっかけです。お酒を飲むのは好きだったので、興味を持ったのかなと思います。笑
(原口)
実際日本酒づくりに携わるようになってからはどうでしたか?
(友安さん)
やってみて一番最初は、正直しんどかったです。入ったのが21、2歳でしたが、蔵人は50代くらいの人ばかりで、最初はなかなか話が合いませんでした。いろんなことを教えてもらうなかでコミュニケーションが取れるようになっていって、次第に面白くなっていきました。
ただ、昔は、今とは違って若手や新人に対して目上の人が丁寧に教えてくれるという文化はありませんでした。『お前には絶対教えないから』というのが当たり前の世界で。そんな中、たとえば先輩がこそっと夜中に起きているのを見たら、何をしに行ったのか、後をつけて観察しました。あと、箱にチョークで印をつけておいて、どういうふうに動かしたのか探る。そういうふうに仕事を「盗む」ということをし出してやり方を学んで行く中で、仕事が面白くなっていきました。
(原口)
最初は蔵人だったということですが、どのような経緯で杜氏になられたのでしょうか。なにか仕事するうえで意識していたことや杜氏になれた理由など思い当たることはあるでしょうか?
(友安さん)
杜氏になれたのは「ラッキー」でした。周りが年齢の高い方ばっかりで、ちょうどタイミングが良く回ってきたんです。
あとは、お酒の善し悪しを利きわけられるのが大事で、結構そういうセンスがあったのかなと自分なりに思います。そして花形である品評会に出すからには一番をとりたいという思いがあり、利き酒の勉強をしたのもあります。
あとは気持ちですかね。品評会に出す前には、神棚に祈って出します。願わないと叶わないですし、やるんだという気持ちがないとそこに達しないので、気持ちは大事かと思います。絶対に一番になるんだ、と。
(原口)
杜氏は工場長のような立場ということで、大変なことも多いと思います。具体的にどういったところで苦労されているのかを教えていただきたいです。
(友安さん)
賀茂鶴という金看板を背負っているプレッシャーがあります。品評会ではいい結果をとって当然という風に見られていて、絶対に落とせないというプレッシャーがある。いいときはいいんですが、ダメな時は社長含めて詫びなければいけない。それだけの責任があるということを痛感します。品評会だけではなく、普通のお酒に関しても飲んでもらって評価がぶれてはいけないし、味が年によって変わってはいけません。今年はこんなのができました、では通用しないので。前買ったのは美味しかったけど今回は美味しくないね、って言われるのもダメなので、常に同じレベルのものをつくらなくてはいけないっていうのはプレッシャーとしてあります。
(原口)
なるほど。実際にクレームが来ることなどもあるのでしょうか。
(友安さん)
そうですね。しかし、クレームが来ることは悪いことかというと、私はそうとは感じないです。クレームを返してくれるということは賀茂鶴のお酒に興味があるということだと思います。興味がなかったらクレームなんてわざわざ出しませんし。美味しくないね、どうしたんだろう、という生の声を言ってくれるほうがありがたいというのは感じますね。もちろんクレームがないように、いいものを常に共有しないとはいけないですけど、絶対に悪いことではないと私は感じています。
(原口)
お酒造りは非常に高度な仕事ですが、その面白さはどのようなところにあるのでしょうか。
(友安さん)
お酒は繊細で、性格が出ます。若い杜氏は、元気のいい活きのいい、荒々しいお酒をつくります。作る人によって同じ原料工程であっても味は変わります。「お酒は生き物」ですから。そこが面白いところです。そして、五感が大事です。目で見て、鼻で匂いを嗅いで、耳で発酵の音をきいて、手で触って、舌で味わう。赤ちゃんの気持ちを探るような感覚です。この子は暑がってないかな、暑がっているようだったら冷ましてあげなきゃ、というように。そして、こうなるのはなんでなんだろうと常に考えながら、向上心を持ってお酒に接することも大切ですね。
(原口)
日本酒や賀茂鶴のこれからのことについて、なにか考えていらっしゃることがあれば教えていただきたいです!
(友安さん)
日本酒業界は今右肩下がりで、高齢者やヘビーユーザーの方が亡くなったり、若者が飲酒離れしたりしています。昔はこのお酒はこうやって飲め!という文化が広く知れ渡っていた時代から変わって、今はこちらから飲み方を提案してあげないと、飲み方がよくわからないという人が多い時代になりました。古き良き日本酒の文化が廃れてしまってはもったいないです。このお酒にはこの料理があうねというものを見つけてくださいねというイベントや、日本酒を割るような新しい飲み方の提案とかっていうのもできればいいですね。昔の文化も守り伝えつつ、時代に合わせた新しい形のものを提案していかないといけないと思っています。賀茂鶴でもイベント等やっていきたいなと思っていますので、そういったところで今後日本酒の魅力を発信していきたいですね。
賀茂鶴酒造株式会社
https://www.kamotsuru.jp/
蔵限定のお酒やギフトも買える!
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こんにちは!
東広島市まちの広報部学生ライターのまるちのこと原口藍です!
私の記事のテーマの一つである「“はたらく”を知る」。
東広島市在住の方の、さまざまな仕事や働き方、その方の思いをインタビューという形で綴っていけたらと思っています。自分自身就職活動中ということで、さまざまな働き方を知りたいと思い、このテーマを設定しました。
第1回目の今回は賀茂鶴酒造株式会社さんにお邪魔させていただきました。
お話を伺ったのは、総杜氏(そうとうじ)の友安 浩司さん。
友安 浩司
1965年東広島市生まれ。1986年入社。16年の修業の末、2002年御薗醸造蔵の杜氏に就任。2009年には出品した5品評会のすべてで1位に当たる評価を受けた。
【全国新酒鑑評会通算11回金賞受賞】(2018年現在)
(賀茂鶴酒造HPより引用)
杜氏とは、酒造りにおける工場長のようなお仕事です。
今回は、友安さんが酒造りに携わるようになったきっかけや酒造りという仕事について、そして酒造りの魅力をお聞きしました。
(原口)
友安さんが酒造りに携わるまでの経緯が知りたいです!
(友安さん)
最初は佃煮屋さんに勤めていました。正直面白くなかったこともあり、2年で辞めて、その後は半年はガソリンスタンドのアルバイトをしました。その時に蔵人(=杜氏のもとで日本酒造りに従事する職人)の季節求人を見つけたのがきっかけです。お酒を飲むのは好きだったので、興味を持ったのかなと思います。笑
(原口)
実際日本酒づくりに携わるようになってからはどうでしたか?
(友安さん)
やってみて一番最初は、正直しんどかったです。入ったのが21、2歳でしたが、蔵人は50代くらいの人ばかりで、最初はなかなか話が合いませんでした。いろんなことを教えてもらうなかでコミュニケーションが取れるようになっていって、次第に面白くなっていきました。
ただ、昔は、今とは違って若手や新人に対して目上の人が丁寧に教えてくれるという文化はありませんでした。『お前には絶対教えないから』というのが当たり前の世界で。そんな中、たとえば先輩がこそっと夜中に起きているのを見たら、何をしに行ったのか、後をつけて観察しました。あと、箱にチョークで印をつけておいて、どういうふうに動かしたのか探る。そういうふうに仕事を「盗む」ということをし出してやり方を学んで行く中で、仕事が面白くなっていきました。
(原口)
最初は蔵人だったということですが、どのような経緯で杜氏になられたのでしょうか。なにか仕事するうえで意識していたことや杜氏になれた理由など思い当たることはあるでしょうか?
(友安さん)
杜氏になれたのは「ラッキー」でした。周りが年齢の高い方ばっかりで、ちょうどタイミングが良く回ってきたんです。
あとは、お酒の善し悪しを利きわけられるのが大事で、結構そういうセンスがあったのかなと自分なりに思います。そして花形である品評会に出すからには一番をとりたいという思いがあり、利き酒の勉強をしたのもあります。
あとは気持ちですかね。品評会に出す前には、神棚に祈って出します。願わないと叶わないですし、やるんだという気持ちがないとそこに達しないので、気持ちは大事かと思います。絶対に一番になるんだ、と。
(原口)
杜氏は工場長のような立場ということで、大変なことも多いと思います。具体的にどういったところで苦労されているのかを教えていただきたいです。
(友安さん)
賀茂鶴という金看板を背負っているプレッシャーがあります。品評会ではいい結果をとって当然という風に見られていて、絶対に落とせないというプレッシャーがある。いいときはいいんですが、ダメな時は社長含めて詫びなければいけない。それだけの責任があるということを痛感します。品評会だけではなく、普通のお酒に関しても飲んでもらって評価がぶれてはいけないし、味が年によって変わってはいけません。今年はこんなのができました、では通用しないので。前買ったのは美味しかったけど今回は美味しくないね、って言われるのもダメなので、常に同じレベルのものをつくらなくてはいけないっていうのはプレッシャーとしてあります。
(原口)
なるほど。実際にクレームが来ることなどもあるのでしょうか。
(友安さん)
そうですね。しかし、クレームが来ることは悪いことかというと、私はそうとは感じないです。クレームを返してくれるということは賀茂鶴のお酒に興味があるということだと思います。興味がなかったらクレームなんてわざわざ出しませんし。美味しくないね、どうしたんだろう、という生の声を言ってくれるほうがありがたいというのは感じますね。もちろんクレームがないように、いいものを常に共有しないとはいけないですけど、絶対に悪いことではないと私は感じています。
(原口)
お酒造りは非常に高度な仕事ですが、その面白さはどのようなところにあるのでしょうか。
(友安さん)
お酒は繊細で、性格が出ます。若い杜氏は、元気のいい活きのいい、荒々しいお酒をつくります。作る人によって同じ原料工程であっても味は変わります。「お酒は生き物」ですから。そこが面白いところです。そして、五感が大事です。目で見て、鼻で匂いを嗅いで、耳で発酵の音をきいて、手で触って、舌で味わう。赤ちゃんの気持ちを探るような感覚です。この子は暑がってないかな、暑がっているようだったら冷ましてあげなきゃ、というように。そして、こうなるのはなんでなんだろうと常に考えながら、向上心を持ってお酒に接することも大切ですね。
(原口)
日本酒や賀茂鶴のこれからのことについて、なにか考えていらっしゃることがあれば教えていただきたいです!
(友安さん)
日本酒業界は今右肩下がりで、高齢者やヘビーユーザーの方が亡くなったり、若者が飲酒離れしたりしています。昔はこのお酒はこうやって飲め!という文化が広く知れ渡っていた時代から変わって、今はこちらから飲み方を提案してあげないと、飲み方がよくわからないという人が多い時代になりました。古き良き日本酒の文化が廃れてしまってはもったいないです。このお酒にはこの料理があうねというものを見つけてくださいねというイベントや、日本酒を割るような新しい飲み方の提案とかっていうのもできればいいですね。昔の文化も守り伝えつつ、時代に合わせた新しい形のものを提案していかないといけないと思っています。賀茂鶴でもイベント等やっていきたいなと思っていますので、そういったところで今後日本酒の魅力を発信していきたいですね。
賀茂鶴酒造株式会社
https://www.kamotsuru.jp/
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